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この記事は、私が実際に現地へ行き、感じ、そしてその上で様々な方の話の点をつなぎ自分の中で紡がれた歴史(history)を記録しておきます。
15000年前より実在していた超古代文明の痕跡!大分、阿蘇、高千穂から探るウガヤフキアエズ王朝!
まず、参考にさせていただいたサイトがこちらです。弥生時代に大分に実在したウガヤフキアエズ王朝!
大和王朝が成立する前に、
大分を中心に、
ウガヤフキアエズ王朝が存在していた!
別名、「豊国王朝」、「日向王朝」、「高千穂王朝」とも呼ばれる。
『上記(ウエツフミ)』という
豊国文字で書かれた謎の古文書。
その記述によると、
大和王朝が成立する前の、弥生時代、
豊の国・大分を中心に、
『ウガヤフキアエズ王朝』が存在し、
少なくとも74代にわたり繁栄した、と書かれている。
ニニギの命は久住山に天孫降臨し、
その孫である初代・ウガヤフキアエズの命は、
大分の地からほぼ全国を統一して、
各国ごとににタケルと呼ばれる領主を任命していた。
そして、その勢力範囲は、遠く中国大陸や朝鮮半島にまで及んでいたのである。
しかし、この王朝は何者かにより滅ぼされ、その記録も抹消された。
イエス・キリストは幣立神社にきていた!
私のヒストリーを紡ぐ旅は弊立神社(へいたてじんじゃ)から始まりました。
弊立神社(へいたてじんじゃ)
熊本県山都町。九州のへそとも言われる位置に幣立神宮はあります。「隠れ宮」であるこの神宮。
しかしその歴史は古く、15000年も昔からあると言い伝えられています…。神武天皇の孫である健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、この地で幣を立て宇宙から降臨された神々を祀ったことが始まり、と伝わっています。そして人々はここから世界に散らばった、という伝説があります。その証として毎年8月23日に「五色神祭」が行われています。
そして私は、今回宮司さんにどうしても聞きたいことがあったのです。
それは、「イエス・キリストはこの幣立神社にきたことがあるのか?」という質問でした。
その質問を宮司さんにした時に、一瞬顔が曇りました。
あまり、そういう話は好きではないのでしょう。
しかし、次に宮司さんから出た言葉に私は驚きを隠せませんでした。
「そういう伝説はあります。」
その一言で私の仮説がつながりました。
そして、宮司さんは続けました。
「天孫降臨のニニギノミコトもこの幣立神社から出発したんだよ。」
猿田彦と呼ばれていた、イエス・キリストとニニギノミコトがつながった瞬間でもありました。
幣立神社から天孫降臨の地高千穂までは、車で30分。なんだかとても神という存在の伊吹を身近に感じてきました。
そして、私は高千穂峡に向かいました。
ここ高千穂峡は、観光スポットとして定番ですが、私の個人的な考察では明らかに古代文明の痕跡であり、日本の超古代文明【ウガヤフキアエズ王朝】との関連性を感じられる土地でもあります。
まず、文明を築く条件としての綺麗な水源を確保できるこの上ない場所になります。
そして、ところどころに無造作に横たわる石に何か刻まれているような痕跡も発見できます。
高千穂峡では、石を割って積み上げた跡、水路の跡、階段の跡などが発見でき、そこに古代の文明の痕跡を感じました。
世界四大文明をはるかにさかのぼる前から日本には文明が存在していたということが、神社や文献で日本には残っているのですね。
幣立神社は15000年前からの歴史、そして高千穂、大分を中心としたウガヤフキアエズ王朝(おおよそB.C.1000年頃からA.D.300年頃)
かつての、ニニギノミコトやイエス・キリストもこの高千穂峡にきっと訪れたと思いますが、約2000年前の人たちはそれよりもずっと昔の古代文明の痕跡を見て、言い伝えなどを聞き、どうんな風に感じていたのでしょう?
私は、2000年前の神と呼ばれた人たちもまた、はるか古代の文明の痕跡などを感じていたのだろうと思うと、なんとも感慨深いものでした。
そして、ここからが私の考察によりつながったヒストリーをご紹介させていただきます。
私は、この系譜を考えた時に、実際に天孫降臨の地や、幣立神社のいい伝え、古代文明の痕跡などたどってみょうに腑に落ちました。
まだ、ざっくりとですが少しずつ点と点がつながってきているのですが、まだまとめきれていないので箇条書き風に記録していきます。
引用:地球なんでも鑑定団様
アダムとイブとイザナギとイザナミは同一人物
モーセが日本にやってきて、神武天皇を誕生させた。そして、神武天皇は高千穂の地で誕生。
高千穂には、古代からの文明の痕跡が残されており、はるか古代からの人類の跡が感じられる。
何と言っても、幣立神社の15000年前からの歴史というのには驚愕し、また日本の超古代文明の裏付けでもある。
そして、神武天皇のDNAでイエス・キリストを誕生させ、
イエス・キリストは磔(はりつけ)の刑を逃れ、日本へきた。
その際にキリスト教は、白人のカトリックが乗っ取り、キリストは白人にすり替えられる。
実際にキリストは景教(ネストリウス派)として中国を経由し、日本に景教を持ち帰る。
そして、日本に神道として景教(キリスト教ネストリウス派)を確立していく。
この時にイエス・キリストと一緒に来た8部族は、のちの日本秘密結社八咫烏となる。
参考:http://check.weblog.to/archives/2300642.html
日本の古代より石工職人は文明の基礎を石で築き上げてきた。
ピラミッドや世界各地の石で造られた文明はもともとは日本の世界最古の超古代文明から世界に伝えられた技術。
その痕跡は高千穂や大分地方で残っている。
日本の神社の階段や、お城の石垣などにもその技術は見られる。穴太衆”石積み”
そして、神武天皇は高千穂で生まれ、『神武東征』後に出生地へ帰ってくる。
父である神武天皇の元にイエス・キリストはイスラエルから戻り、幣立神社に行き、ニニギノミコトとともに高千穂に行き、天孫降臨の地から新たな国づくりを始める。
高千穂、岡城、臼杵城、大分城も神武天皇、イエス・キリストがそのルーツにある。
稲荷神社=キリストを祀る神社
イエス・キリストが、高千穂、大分にきていたとすると、その地で子供ができていてもおかしくはない。
そして、その子供はその地方で代々受け継がれて、古代よりの文明と言い伝えと土地を守ってきた。
竹田の岡藩中川家や、大分府内城、臼杵城大友家、
ウエツフミによると、⇒ほとんどの天皇が臼杵の産屋で生まれ、大分市の霊山あたりに葬られている。
そして、大分周辺の大名は隠れキリシタンと呼ばれている。
ザビエルからのカトリックのキリスト教ではなく、日本の古代文明からの流れと神武天皇、キリスト、などからの流れが強い代々受け継がれた信仰だったと考えられる。
そして、私は確証はないが、神武天皇、キリストの末裔がこの地を大名として代々守ってきたのだと考えるにいたった。
何より、その考察を後押ししたのが、中川家の下に神武天皇の御陵らしき古墳が見られるという小富士山だった。
もし、ここが神武天皇の御陵だったとしたら、その上に中川家の墓が建てられたということも納得できる。しかも、神武天皇の血を引く中川家だからこそその御陵の上に墓を建てられたのだろう。
そうすると、
神武天皇 ➡︎ キリスト ➡︎ 幣立神社とキリスト ➡︎ 日本神道と景教 ➡︎ 日ユ同祖論 ➡︎ キリストの末裔 ➡︎ 岡藩主中川家、大友家 ➡︎ 隠れキリシタン というつながりが一気にひとつなぎとなったのだ。
つい数年前までは、まさか自分が大分に移り住んでいるなんてことは想像もできませんでした。
そして、偶然にも大分に移り住み、それまで古事記なんて知ってはいたもののあまり関心などありませんでした。
しかし、6年前くらいからヒーリングを修得し、その見えない力を探求していくうちに偶然が重なり大分に移り住み、また偶然に熊本地震の2日後に幣立神社に向かい、神社の裏にある塚にたどり着きました。
その場所で、私は猿田毘古に語りかけられ私に乗ると言われました。その時には、猿田毘古という名前はあまり認識もなく、ただ聞いたことがある名前だなという程度でした。
そして、その後、猿田毘古の事を調べていくとどうやら古事記に出てくる道案内の神様ということがわかりました。
それからさらに、猿田毘古の正体はどうやらイエス・キリストだったという言い伝え(竹内文書)にたどり着いたのです。
さらに、キリストから神武天皇につながり、天孫降臨、さらにウガヤ王朝、もっとさらに古代の文明が日本の高千穂周辺にあったということにたどり着いていきました。
その後、隠れキリシタンと神武天皇、キリストとの関連性を大分と高千穂で見つけ、さらに歴史を紡いでいくと、なんと地球の歴史の真っ只中に自分が今触れていることに気づきました。
教科書では、決して乗せられていなく、そして世界にもこのようなヒストリーを公表してしまえばすべての歴史がひっくり返され、さらには各国の宗教観にまで影響を及ぼしていくだろう歴史でした。
地球最古の文明の発祥、世界の宗教の秘密、そして痕跡が私の住んでいる大分に残されているなんてことは本当に驚きです。
過去何千年も続いている宗教間の争いも決して遠い出来事ではなく、日本も無関係ではなく、逆に日本を中心として世界は成り立っていたのだと知りました。
これらの出来事に触れることで、日本の歴史や大東亜戦争などの本当の意味がつながって見えるようになりました。
まだまだ漠然と感じているレベルなのでうまくお伝えしていくことが難しいのですが、世界の点と点が結ばれ、その大きな渦の真ん中に今、自分は立っているのだという風に感じています。
なんだかうまくまとめきれていなくてすみません、
上記のつながりは私の個人的な見解での歴史のつながりなのですが、膨大すぎてざっくりとしか表現できていないのですが、大まかな流れを感じれたので、ここからさらに歴史を掘り下げてヒストリーをつなげていきたいと思います。
先人たちもこのような夕日を眺めながら、どのようなことを考えていたのだろうと数千年の時間を超えて感じることができました。
〜竹田 岡城跡にて〜

猿田毘古の骨伝導ヒーリング完全解説

こうしてイエス・キリストは猿田彦になった フィクション小説
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