猿田毘古の骨伝導ヒーリング 航宜(コウキ)

大分美容室 Blue Hand’s

今までの経緯

1979年 千葉県で生まれ、館山市という千葉県の最南端の街で幼少期を過ごしてきました。19歳の時に美容師の見習いの時に父親が倒れ、一家離散。その後25歳で横浜で美容室を独立開業。10年間横浜で美容室を経営していて、ふと自分の本当の幸せな生き方とは何だろうと考え、翌年大分県に移住する。現在は大分市内で美容室Blue Hand’sを経営しながら【猿田毘古の骨伝導ヒーリング】を主催している。

 

なぜヒーラーになったのか?

そもそもヒーリングには興味はありませんでした。しかし、幼少の頃より世界の不思議が大好きで、よく矢追純一さんのUFO特番や世界七不思議のテレビ番組などを好んで見ていました。そして、大人になり、Facebookというものが出てきて興味本位でやってみると、そこで矢追純一さんが記事を投稿していました。その記事を見ていると、宇宙塾という塾を矢追さんが主催して東京でやっているのを発見しました。私は小さい時からずっと好きで見てきた人だったので、迷わずに宇宙塾に入ることにしました。

宇宙塾では、矢追さんが世界中を取材してきた中で、テレビでは言えない世の中の真実を講義してくれる内容でした。その中でヒーリング習得のカリキュラムもあり、初めてヒーリングを実際に体験したのです。生まれて初めてヒーリングを受けた時、私は目に見えない力を自分の体で体験することができました。この世界にこんな魔法が本当に実在するなんてと、とても感動したの今でも鮮明に覚えています。

そして、私はヒーリングを習得し、その後自分の人生を改めて創造していくという転機を迎えることになりました。そこで私が選んだ道は、九州の大自然の中心豊かに人生を送りたいという選択でした。私は、迷わず大分へ移住を決め、横浜の経営していた美容室を手放し大分県へ単独で移住したのです。

大分へ移住し間も無く熊本の大震災を経験しました。関東でも宮城県の震災3.11の時に震度6を経験しましたが、大分県でもまた地震を経験したのです。地震の翌々日、私はみょうに熊本県阿蘇の幣立神社に行きたくなりました。行きたいというよりもいかなければならないという感覚です。

道中は、自衛隊の隊列が長い列をつくっていました。空にはオスプレイも飛んでいて非現実的な雰囲気でした。そんな中、幣立神社に到着し、参拝を終え、裏の異次元のエネルギーが放出されているという塚に向かいました。やはり地震の後なので倒れていたりしましたが私はそこで手を合わせて瞑想していました。

その時の事です、林の中の風の音に混じって、ベースの弦のような、とても低く、人間では出せないくらいの低い声が聞こえてきました。私は、何か不思議な気持ちになり、瞑想しながらその声に耳を集中しました。その時、私はこんなふうに聞こえたのです。

『ナンジ ヨクゾマイラレタ ワレ サルタヒコダイミョウジン ナリ  ナンジ ノ ウデニ ヤドラン』

と聞こえてきたのです。その時、私の右斜め後ろにつむじ風が起きていました。15時すぎの事でした。私は、その言葉を聞いた後に、自分の両手を見ていました。自分のエネルギーを感じていました。まるで両腕に鎧の手甲をまとった感覚がありました。

それが私と猿田彦の最初の出会いでした。

それから私は、ヒーリングと猿田彦のエネルギーを使い人々にヒーリングを施すようになりました。

「この世界にて100%潜在能力を発揮し、活かせる知恵と英知、それを断行して行く抜群の決行力を発揮させる力」を私から伝え、導いていく。

ヒーリングという奇跡と、これからの時代の幕開けを道案内してくという役割を授かったのです。

人生という道に迷っている方や、体と心のバランスを崩してしまった方が笑顔になり、本来の自分を取り戻していく案内人という使命を果たすため、猿田彦の骨伝導ヒーリングを伝導させていただくようになりました。

困難

19歳の時に父親が倒れ、私は自分の無力を実感しました。自分には家族を守る力がない。私はがむしゃらに美容師の修行に励むしかできませんでした。ただがむしゃらに家族を守れるようになりたいという思いだけで走り抜けてきて、25歳という若さで自分のお店を持つことができました。しかし、私は自分の本当の幸せを考える暇もなくひたすら駆け抜けてきたのですが、2012年あたりにふと引き寄せの法則の本を手に取ったのです。そこに書かれていた内容は衝撃的でした。私はそれから自分のこれからの人生に向き合うようになりました。

自分の中の妄想に気づき自由を手に入れた

 

私はいつの日か、自分の中でできることとできないことを勝手につくっていました。それを本当の意味で気づいた時、私は解放されました。一生という短い時間の中で自分の可能性は自分でどこまでも広げられると解った私は、すべてを断捨離し、新たな人生を創造するために大分へ単身移住を決めたのです。

すべてを断捨離したからこそ手に入れられた人生

当時、私の行動は周りの人たちには理解し難い行動でした。美容室も10年経営していました。しかし、私は一度すべてを断捨離し大分に単身移住したのですから。移住後に1からスタートすることになったのですが、何も持っていない私は逆に欲しいものをすべて手に入れることができました。それは自由な時間。豊かな自然。心地よい人間関係。家族との時間。横浜の時には従業員も雇い常にお店で働いていました。長い労働時間だったのですが、出費も多く回していくのが大変でした。しかし大分に移住し1からスタートしたのですが、すべて自分のペースででき、生活スタイルもミニマムにすることで逆に収入は安定し、豊かに過ごせるようになりました。家族との時間も十分に取れ、好きなパワースポットにも自由に行ける。そんな理想的な生活を手に入れることができたのです。

人生を豊かにする道先案内人としての使命

 

現在、日本では経済的、精神的に病んでいる方が実に多く感じられます。毎年の自殺者の増加、将来への悲観、健康の不安などなど。理由を探せばいくらでも出てきます。戦後物質的には豊かになったはずの日本ですが精神的には本当に豊かと言えるのでしょうか?今、時代は大きくうねりながら変容を遂げています。私は、幣立神社での猿田彦との出会いからこの迷走している日本に住んでいる方に猿田彦のヒーリングを通して、本当に豊かな人生を共に歩んでいきたいと考えています。

「この世界にて100%潜在能力を発揮し、活かせる知恵と英知、それを断行して行く抜群の決行力を発揮させる力」

「猿の姿に象徴される、見ざる、聞かざる、言わざる、の3徳、つまり人間関連を正しい方向に導き、もつれた糸をほぐすように、過去のしがらみを断ち切り、新しい人間関係をお創りになる力」

「猿田彦大神の妻神、アメノウズメ大神にも通ずる、絵画、音楽、文章、語学、学問、芸能お稽古事を始めとしその他もろもろの、自己の芸術関係の才能を最高度に発揮する事が出来るお力」

「そして、道開きの本当の趣旨、直感力、霊感力、インスピレーションを降ろして、そのお導きする人間を瞬間瞬間に最適に導いていくお力」

「特に、日本の大地に結びつきする、実りをもたらす力。」

これらの力をヒーリングにのせ、エネルギー体の骨を1本1本取り出し、それを組み直していくことで、人間本来のバランスを取り戻し、周波数を向上させていく。これが猿田彦のヒーリングです。

この猿田彦大神のエネルギーを1人でも多くの方に伝え広めていくことが使命です。

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