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そして、頑張ることをよしとするのはどうしてだと思いますか?
今日は、常識の反対からの視点で『努力』ということをお話ししていきましょう。
頑張って何か嫌なことを毎日、毎日繰り返していてもはっきり言って報われません。
常識の世界で生きている人たちは、人生とは戦い・競争であり、そこで勝ち残っていくには、人より努力をし、頑張らなければならないと思っています。
これは、妄想です。
家庭や、学校、漫画、などでそういう美学、教えをなんどもインプットされてきたから、あなたもその周りも常識と思い込んでいます。
そういう、常識という妄想でしっかり固まっている人間は、会社や国にとって、便利で使いやすい人間です。
努力する人生ほど不自然で、大変なことがありますか?
明日、生きているか死んでいるのかも全くわからないのに、なんのために努力をしなければいけないのか。努力をして頑張ると、余計な力が入ってものごとが空回りして逆効果となることもあります。
人生を最高に生きるコツは、【流れに身をまかせること】たったこれだけです。
他に何もいりません。ただし、目標だけは定めておかなくてはなりません。
目標が決まると、その目標に向かう見えない流れができます。その流れに身を任せていると、結局思い通りの人生を生きることができます。
いくら未来のことを自分の考えであれこれと計画し、それに向かって努力しても、ほとんど計画通りの結果になることはありません。
人生は、思い通りになる。ただし、目標だけははっきりと定めなければダメなんです。
目標を決めたらあとは、【流れに身をまかせる】だけでいいのです。すべてをゆだねて、あとは待っている。それがいい結果を得るコツなのです。
一見、努力をしなくても人生が思い通りになるなんて矛盾しているように感じる人もいるかもしれません。
しかし、努力といい結果とでは必ずしも結びつくものではないのです。
よく言う例えばなしなのですが、小学生がゲームを時間を見つけてはやっているとします。
お母さんは、子どもに、「はい、30分までやってもいいわよ。」とか、「もうやめなさい!いい加減にしなさい!」とかと起こる光景がありますよね。
しかし、ゲーム好きから大人になってプログラマーになりガンガン稼いでいる人たちも、昔はお母さんからゲームをやっていて、「よく努力しているわねー。」「頑張ってるね」とかと褒められた人はまずいません。
大概、自分の好きなことというのは、もうやめろ!と怒られることの方が多いのです。
釣り好きなお父さんも、暇さえ見つければ釣りに行きます。それを周りは、「努力してるねー」なんて褒めてはくれません。
子供なら、勉強。
大人なら仕事。
こう決められたものを、やらなければいけないという固定観念のもと、続けていることを努力の美学で賞賛します。
高校野球で、甲子園に行きたい人が毎日練習しているのは、努力とは言いません。
甲子園に行くために必要なので、部費のお金を払ってまで、毎日きつい練習をしています。
お金を払ってまで、好きなことをしているのです。
これを、いやいや練習していて、さらにお金を払って、やっているくらいならその部活はやめたほうがいいのです。
努力とは、嫌なことを強制的にでもすることで、いい結果を生み出すこと。と妄想しているのが一般常識です。
好きこそ物の上手なり。とはよく言ったもので、好きなことは本人も努力には感じません。
やりたいからやっているのです。
勉強ができる子は、勉強が好きなのです。
勉強が
嫌で嫌でしょうがない子に、毎日8時間拘束して無理矢理勉強させていたら精神崩壊してしまいます。
大人になると、嫌で嫌でしょうがない仕事を、お金のために毎日強制的にやっているために、精神崩壊して「うつ」になってしまいます。
もし、パチンコ好きのおじさんが、毎日パチンコしていても「うつ」にはなりません。
パチンコ好きのおじさんが、無理矢理毎日「チアダンス」を努力しろと言われ縛られていたら「うつ」になってしまいます。
努力することと好きなことをやることは違いますし、努力から出す成果よりも、好きなことからの成果のほうがはるかに効率的になります。
つまり、嫌なことを努力を続けるよりも、好きなことの結果を出していくほうがはるかに人生を豊かに生きていくことができるということです。
ここで、努力がいらない理由をまとめてみます。
- 嫌々やっていても学習効率がものすごく悪い
- 時間を無駄にしてしまう
- 好きなことには勝てない
- 努力に結果はともなわない
- 無理にやるのは体によくない
- 努力することに意味があると洗脳されている
- 努力し、口応えせず、言われたことをやる!と言う人は使いやすい
- 社会で努力をしていても報われない
- 努力をしていても、資本主義の社会ではリストラにあう
- 努力していても幸せな人生にはならない
- 努力は苦痛が伴い、好きは快感が伴う
努という漢字
『努』という漢字の成り立ち。
「おんな」の「また」の「ちから」、という風に、漢語、漢字を日本語訳にした訓読みで、本来外国語であるその語彙、成り立ちを読み解こうと思う時点で、絶望的ですがな……。。。
「おんな」はまだ良しとして、、、又は「また」ではそもそも無いんです。これは「右」という漢字の左払い、横棒、の上部のパーツと同じ形で漢語的には、これを「ユウ」と読みます。
この「ユウ=又」とは、右手の手のひらと右腕の上腕部の形の象形で、このパーツだけで、まさしく右手を意味します。
すなわち、努という字の上のパーツ、「奴」は、女(女性を含む弱者全体を結果意味する)を右手で捕まえ、奴隷化する事を意味します。
だから奴は奴隷という語の「奴」でしょう?
そして、奴の下に心をいれると、「怒」ですね。
すなわち、「怒」とは奴隷の心、、その様な鬱積した心の様態です。日本語訳で「おこる」という語彙と、本質的な感性がまず違っています。
という訳で、努力の「努」とは、奴隷の力。日本語の「つとめる」という意味合いでは本質的にありません。
すなわち、隷属し、無理矢理に使役され、酷使される側‥、そういう者の力です。
よく先生、親は、子供に言いますよね。
『努力しろ』 『努力が足らん』
‥‥‥‥立派な「奴隷」に育てあげる言霊ですね。
…しかし漢語で『努力』、、、ちょっと意味を知るとおぞましい。。。
これこそ、言語、そして漢字という文字の、本質的な力の発現をみている訳で、恐ろしい誤謬です。この様な間違いと、それゆえの哀しく滑稽な悲惨は、(日本の歴史上)世間一般に深く浸透しています。
『努力』を賞賛する妄想は、奴隷を推奨している文明の意図がその裏には隠されていたのですね。
そりゃ〜うつにもなるわ。
あなたは、努力(奴隷)の美学に洗脳されてはいませんか?

猿田毘古の骨伝導ヒーリング完全解説

こうしてイエス・キリストは猿田彦になった フィクション小説
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