本当の日本のルーツの秘密 フリーメイソンとキリスト教と古代日本

 

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フリーメイソンとは ・・・ 今から400年ほど前に発足したとされる世界的に有名な秘密結社です。正しくは会員を表す言葉であり、フリーメイソンが所属する団体は「フリーメイソンリー」と呼ばれています。もともと、大聖堂や修道院、宮殿や城を建築する石工職人達の同業組合から発展したものです。

一般的に知られているのは、中世フリーメイソンなのですが、その起源は古代よりありました。

イエス・キリストもフリーメイソンだった!

 

イエスは、その青年期、父・ヨセフと同じ「大工」になった、と言われてきました。この「大工」に関して、古代ギリシャ語から訳すときに生じた誤訳だった、という説がある。

『聖書』にある「テクトン」という言葉は、従来「大工(カーペンター)」と訳されてきたが、本来は、「建築者(ビルダー)」つまり「石を建てる者」の意味だというのです。

日本でいう「大工」とは違うのです。

「石積み職人」(「左官職」を含む)のことなのです。事実、ナザレの中心部には、2000年前の石切り場が残っています。そして、当時、ナザレから6キロほど離れたところにあったというセフォリスという町は、ローマ帝国と結託した貴族たちのための町だったという。その町のローマ風の石造りの家を作るのは、ユダヤ人の石材職人たちだったのである。
イエスは、父と共に、石切り場で働いていたかもしれないのです。

イエスが、「石工(いしく)」であったとすれば、興味深いことに、「フリーメーソン(自由な石工)」と関係してきます。

フリーメーソンのシンボル・マークは、石工団体を元にした名残りとして、石工の道具であったコンパスと直角定規が描かれるし、さらには内部の階位制度には「徒弟(Entered Apprentice)、職人(Fellow Craft)、親方 (棟梁とも訳す。Master Mason)」の呼称が残っているし、集会の時には、元は石工の作業着であるエプロンを着用します。

フリーメーソンのルーツは、神殿を建てる石工職人です。石工たちは、神殿の聖職者たちと神殿や王の墳墓を造るための打ち合わせをするうちに、いつしか当時最高の知識人であった聖職者たちしか知らなかった秘密教義を受け継ぐようになっていったのです。

古代石工職人からの叡智の継承組織

古代から様々な建造物が石で造られてきました。

その石の切り方、積み上げ方、組み方には古代より受け継がれてきている叡智が継承されているのです。

そして、古代より受け継がれてきている叡智は「神」とされる存在から脈々と受け継がれてきたのです。

石工職人は、世界中に広まり、そのネットワークと叡智を広め建造物を造ってきました。

その流れは当然日本各地にもあります。

信長も重用した伝説の石工「穴太衆(あのうしゅう)」―現代に奇蹟の技をつなぐ“超”技術集団とは?

かつて日本に、城の石垣づくりを専門とする技術集団がいたのをご存じだろうか。戦国時代、各大名がこぞって召し上げた伝説の集団、その名も「穴太衆(あのうしゅう)」。戦国時代の城はその石垣の高さや強度さが戦いの士気を左右し、戦いを制するには「穴太」の力が求められたといいます。

なぜならば、穴太衆が得意とした「野面積(のづらづみ)」と呼ばれる自然の石を組み上げる石工術は、現代技術を凌ぐほどの強度を誇ったからです。その技術力があってこそ、地震大国日本において、高さ数十メートルに及ぶ自然石を積み上げただけの石垣を今に残すのです。

そもそも穴太衆とは、どのような技術者集団なのか。「ルーツを遡れば、古墳時に日本にやってきた渡来人」と言われています。朝鮮半島にあった「百済」では「穴太(あのう)」と名乗る部族がおり、それが土木工事や石工を得意とする集団だったといいます。

滋賀には飛鳥時代に「大津宮」が築かれているが、その付近には当時の権力者を埋葬する古墳群が立ち並んでいます。この古墳の石の組み方をみると今の穴太衆(あのうしゅう)に伝わる技法が垣間見られるという。古代に日本にやってきた百済の渡来系が古墳の造営を中心に技術を伝えていったと推測されるのです。

その後、この地では最澄が比叡山に天台宗を開山。その際に穴太の力を必要としたが、ここで大陸から伝えられた技術は、より日本の風土に合った、高度なものへと進化していったのです。
というのも、元々百済や大陸に見られる石積みの技術は、接着剤の役目を果たす漆喰などを用いています。万里の長城も漆喰が使われていますね。しかし雨の多い日本では漆喰を用いると水を含んで崩落しやくすくなる。日本では、いかに水はけをよくするかが求められていました。また、比叡山で石垣をつくるとなると、古墳や斜面の少ない大陸とは違い急斜面に対応しなければならない。そこで、切磋琢磨しながら日本独自の穴太の技術として進化したのです。

こうして、日本の風土に適した石積み技術が確立されていくわけなのですが、その名声を高める契機となったのが、あの有名な織田信長の「比叡山の焼き討ち」です。信長は焼き討ち後、再興の目を徹底的に潰すため、臣下の丹羽長秀に焼け残った石垣などの打ちこわしを命じました。しかし、延暦寺伽藍の石垣は、なんとも頑丈すぎてなかなか壊すことができなかったのです。それを信長に進言すると、信長は後世で城の歴史を変えたと言われる名城「安土城」の築城に「穴太衆(あのうしゅう)」を召し抱えたのだという。

信長の穴太衆(あのうしゅう)の起用を目にした大名たちは、築城に際して「穴太衆」を求めるようになったのです。さらに穴太衆は「織田―豊臣―徳川」と時代の頂点を極めた権力者から庇護されながら全国に散らばっていきました。

穴太衆(あのうしゅう)積みで作られた城は枚挙に暇がありません。一例をあげるだけでも、いまや天空の城として注目を集める「但馬竹田城」、「姫路城」に「伊賀上野城」、「大阪城」や「名古屋城」、そして「江戸城」の石垣にも穴太の手が入っているのです。

そして、こうなってくると結びついてくるのが、

古代石工職人(超技術集団)フリーメイソン  ➡︎ イエス・キリスト ➡︎ 日本来日(景教)  ➡︎ 古代日本の石組み集団(あのうしゅう)  ➡︎ 戦国武将 ➡︎ 城 ➡︎ 隠れキリシタン

ザビエルよりはるか以前の日本に、多くのキリスト教徒がいた。

 

キリスト教は、一般には、カ トリックの宣教師フランシスコ・ザビエルが一五四九年に日本に来てから、初めて日本に広まったと思われています。
しかし、ザビエルが日本に来るよりはるか以前――ザビエルより約一千年も前に、多くの景教徒、すなわちネストリウス派キリスト教徒たちが、続々日本にやって来ていました。
しかもその景教徒たちのことを調べていくと、日本の古代について、多くの想像を私たちに、もたらしてくれるのです。

いろは歌のキリスト

「いろはにほへとちりぬるを」で始まるあの「いろは歌」が「折句(おりく)」であって、そこにはイエス・キリストに関するメッセージが”折り込まれている”という話があります。
「折句」というのは、そのままの文章の意味のほかに、もう一つ別のメッセージを折り込むことをいうことを言います。いろは歌は昔から、七文字ずつに区切られ、次のように記されています。

ろはにほへ
りぬるをわ
たれそつね
むうゐのお
まけふこえ
さきゆめみ
ひもせ  

この各行一番下の文字を右から左へ読むと、
「咎(とが)なくて死す」
すなわち、”罪がなくて死んだ”の意味になる(歌の中では清音と濁音は区別されない)。このように歌の中に、もう一つのメッセージや暗号文を折り込むことを、折句というのです。
また、いろは歌の各行一番上の文字を続けて読むと、
「イチヨラヤアエ」
となります。これはおそらくヘブル語の、
「イーシ・エル・ヤハウェ」
であり、”神ヤハウェの人”の意味であろう、とレムナント誌に書いた(イーシは人、エルは神、ヤハウェは神の御名)。すなわち、イエス・キリストです。
“神ヤハウェの人”イエス・キリストが”咎なくて死なれた”という、もう一つのメッセージが、いろは歌の中に折り込まれています。
このように各行の下や上の文字に、もう一つのメッセージをこめることは、平安時代などに歌人の間で流行していました。それにしても、一字も重複せずに、よくこれほどの歌をつくったなあと、感心せざるを得えません。
そしてもう一つ。
いろは歌の右上端、左上端、左下端の三文字を読むと、『いゑす』すなわち”イエス”となります。
さらに、右上端、左上端、右下端、左下端の四隅の文字を読むと、「イエトス」となり、これはイエスの御名のギリシャ語の発音イエススに似ている。ラテン語の発音イエズスにも、よく似ています。
偶然にしては出来過ぎです。やはり「いろは歌」は、天才的な作者がその中にもう一つのメッセージ──イエス・キリストに関するメッセージを折り込んだ歌なのでしょう。
いろは歌の文字通りの意味も、よく読んでみると、決して仏教的な歌ではなく、クリスチャン的な感覚にもピッタリすると言います。
仏教界では、いろは歌は涅槃経と同じ内容としているが、国文学者の宮嶋弘氏や、岡田希雄氏らは、涅槃経とは関係がないとしています。
いろは歌の「うゐのおくやま」の部分は「有為(うい)の奥山」と仏教界では読んでいるが、そうではなく、「憂(う)ゐの奥山」だという学者もいます。そうすると、いろは歌は、
「色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
憂ゐの奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず」
となって、こうなるとクリスチャン的な感覚にもピッタリするそうです。聖書に、
「すべての人は草、その栄光はみな野の花のようだ」(イザ四〇・六)
「むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かして下さい」(篇一一九・三七) とあります。こうした内容を歌ったのが、いろは歌なのではないかということなのです。

発見されたJNRIの文字

景教の影響は、このように日本の皇室や、仏教界、その他に及んでいたのです。
景教徒たちは、日本へ単に”お客様”として来ていただけではありませんでした。景教徒たちは日本に住み着き、彼らの信じる景教は、日本の庶民の間にも広まっていたのです。
じつは群馬県で、古代の景教徒の遺跡が発見されているのです。
江戸時代に、肥前平戸藩の藩主・松浦静山(まつらせいざん)が記した『甲子夜話』という随筆がある。ここに書かれた話を現代語にすると、こうなります。
「先年、多胡碑(たこひ)(羊大夫碑(ひつじだゆうひ))のかたわらから、石槨が発見された。そこにJNRIという文字が見られた。
ある人が外国の文献を見たところ、キリスト処刑の図にもこの文字が見られたので、蛮学(ばんがく)に通じた人に聞いてみたがわからなかった。なお、この多胡碑の下から、十字架が以前に発見されているから、それと関係のあることであろう」。
この「多胡碑」というのは、和銅四年(七一一年)に建立された古代碑文である。現在の群馬県にありますが、そのかたわらの石槨に「JNRI」という文字が見られ、また碑の下からは十字架も発見されたという。


江戸時代の人物、松浦静山は、
多胡碑(群馬県)において十字架と、
「J N R I」の文字が発見されたことを述べている。
(平凡社刊「東洋文庫385甲子夜話続編6」より)

 JNRIというこの文字について、江戸時代の松浦静山は、当時の蛮学(西洋の学問)に通じた人に聞いてみたが意味はわからなかったといいます。
「JNRI」は、ラテン語のJesus Nazarenus, Rex Iudaeorumの頭文字をとった略語であって、”ユダヤ人の王ナザレのイエス”の意味なのです。十字架につけられた主イエスの頭上にかかげられた言葉である(ヨハ一九・一九)
JNRIは、INRIと記されることもあります。この場合の最初のIは、Iesusの頭文字である。
しかしJでもIでも、どちらでもよいのです。INRIというのは、よくキリストの十字架を描いたラテン系絵画に見えますが、昔はJNRIもINRIも両方用いられたようです。


フラ・アンジェリコ(1400~1455年)画。
今日私たちが見ることのできる
キリスト受難の絵では、頭上の言葉は
I N R I と書かれていることが多いが、
昔はJ N R I とも記された。

 JNRIという文字と共に発見されたこの「多胡碑」は、この地域に新たに「多胡郡」をおき、それを「羊」にまかせるという内容を記した碑です。
「羊」というのは、当時のこの地域の有力者の姓なのでしょう。しかし、なんともキリスト教的な名なので気になります。いずれにしても、このために多胡碑は「多胡羊大夫の碑」とも呼ばれるのです。
「多胡」の「胡」は、「胡人(こじん)」が異国人、「胡弓」が異国の楽器の意味であることからも知れるように、異国人のことです。すなわち「多胡」は、渡来人の多く住んでいることからきた地名なのです。
じつは、奈良の正倉院に残る掛布屏風袋の銘文に、
「上野国多胡郡(こうずけのくにたこぐん)山部郷戸主秦人」
とあります。「多胡郡」は多胡碑の出た多胡郡であり、「秦人」は渡来人の「秦氏」をさすのです。つまり多胡郡には、秦氏をはじめ、多くの渡来人が生活していたわけなのです。
「秦氏」は、渡来人の中でも特に高度な文明をもった人々で、日本に大きな影響を与えた人々です。
早稲田大学名誉教授の佐伯好郎(さえきよしろう)教授によれば、秦氏は、古代東方キリスト教徒であったと言います。
あの多胡碑のJNRIという文字や、その下で発見された十字架が、秦氏のものかどうかはわからないですが、秦氏以外の渡来人のものかも知れません。
日本には秦氏のほかにも、多くの渡来人が来ていました。彼ら渡来人の中には、景教徒も多くいました。彼らは、日本のあちこちで景教、すなわちネストリウス派キリスト教の信仰を持って暮らしていたのです。

イナリ信仰の起源

イエス・メシヤ(イシュ・マシャ)が、ウズ・マサという言葉になったとすれば、「JNRI」また「INRI」という言葉は、何になったのか。
どうもそれは、「イナリ」という言葉であったようなのです。
「INRIがイナリとなった?――まさか。稲荷神社のイナリと、景教と一体何の関係があるのか」
という人もあるでしょう。確かに現在の稲荷神社を見ると、キツネがすわっていたり、赤い鳥居があったりで、質の悪い宗教という感じです。景教とは何の関係もないように見えます。
しかしこうした姿は、じつはどうも、イナリ信仰が変質してしまった、なれの果ての姿のようなのです。もとのイナリ信仰は、もっと別のものであったのです。
イナリ信仰の変質は、空海がイナリ信仰を詔勅(しょうちょく)したときに始まりました。空海がイナリ信仰を受け入れて、習合させたことはよく知られています。
空海はこのとき、それまでのイナリ信仰を変質させてしまったようです。あの稲荷神社の「白キツネ」も、空海が中国から持ち込んだものであるというのです。
空海は、中国の唐で学んで日本に帰ってから、密教を広めました。

このとき、彼は日本でイナリ信仰をも習合しました。なぜイナリ信仰なのかというと、それは空海が中国で景教にふれたことに関係があるらしいのです。
彼は中国で景教の僧と長々と議論をしていて、景教に関する相当な知識を得ました。空海の伝えた密教にも、景教の影響が指摘されています。
彼は表向きには仏教徒であったが、部分的には、景教の教えにも魅力を感じていたのです。その空海が日本に帰ってからイナリ信仰を取り入れたのは、イナリ信仰とは当時、日本における景教の一種だったからなのです。
イナリは、現在はふつう「稲荷」と書きますが、元来は「伊奈利」と書きました。学者は、空海が「伊奈利」を「稲荷」と書くように変えた、と述べています。
じつは、もとの字である「伊奈利」は、「いなり」という音に対して当てはめられた”万葉がな”に過ぎないのです。
つまり「伊奈利」という漢字自体に意味はないということになります。「いなり」という音に万葉がなが当てはめられたのは、それはこの言葉が、もともとは外来語だったからなのです。INRIという言葉から、「いなり」となったのでしょう。

実際、先の秦氏の「木島坐天照御魂神社」(俗名・蚕の社)には、岩屋の中にイナリが祭られています。このように、イナリとはもともと景教のものではないでしょうか。
この近くにある、やはり秦氏系の「天塚古墳」にも、前方後円墳の石室にイナリ神が祭られています。長野県の諏訪大社の東北の奥にも、イナリがあり、その入り口には、あの蚕の社と同じ三柱鳥居が立っています。

このようにイナリとは、もともとは三位一体の神を信じる秦氏系のものであり、”ユダヤの王ナザレのイエス”――INRIだったのです。
しかし、景教に親しみを覚えていた空海が、のちにイナリ信仰を密教に習合させてしまったとき、イナリ信仰は本来の景教的特徴を失ってしまったのです。
そしてその後、あの白キツネと、赤い鳥居の、異教的礼拝所に堕してしまったようなのです。
引用+参考 :久保有政著(レムナント1997年11月号の文+修正

日本の神道とイエス・キリスト、城、武将、キリスト教、景教、神社、稲荷、点と点がつながり日本の歴史がだんだんと浮き彫りになってきましたね。

隠れキリシタンというのも歴史の中でいろいろと被された出来事だったのです。その奥にはとてつもなく根深い日本の歴史が潜んでいました。

そして、モーセ、神武天皇、イエス・キリストとつながりもあるとしたら、世界の歴史の中心は日本の歴史そのものと言えるでしょう。

古代より、歴史を継承している神秘の国、日本。

これらの本当の歴史は隠されています。

そして、大東亜戦争(第二次世界大戦)は白人の世界侵略、有色人種の奴隷化を食い止めるための戦争だったということを知っている日本人がどれだけいるのでしょうか?

地球の本当の歴史を学び、日本という神秘の国を少しでも知り、私はスピリチュアル=精神世界を伝えていきたいと思う今日この頃です。

私は、今、大分に住んでいますが、近くの護国神社や多くの神社や古代日本の痕跡、遺跡、城跡などを探索することにすっかり魅了されてしまいました。

九州は隠れキリシタンの名残も多いのですが、本当の歴史というのはなかなか表には出てきません。

あなたも、観光地で観光用に言われ伝えられていることの裏側や真相を模索してみるとその奥深さを感じられると思いますので、ぜひそういう視点でもご覧になってみてください。

猿田毘古の骨伝導ヒーリング完全解説

こうしてイエス・キリストは猿田彦になった フィクション小説


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